1999年に誕生し、今なおインターネット上で大きな影響力を持つ掲示板「2ちゃんねる」。その創始者が西村博之氏です。現在は、未来検索ブラジル取締役、東京プラス代表取締役など実業家としての活動はもちろん、メディアやSNSで「ひろゆき」名義でコメンテーターなどとしても活躍しています。またインターネット匿名掲示板「2ちゃんねる」 (2ch.sc)と「4chan」の管理人でもあります。著書に『1%の努力』(ダイヤモンド社)、『論破力』(朝日新書)、『無敵の思考』『働き方 完全無双』(ともに大和書房)などあります。

「ヤバい」子どもだった学生時代

ひろゆき氏は1976年、神奈川県相模原市に生まれ、東京都北区にあるマンモス団地、都営桐ヶ丘団地の横にあった国税局宿舎で育ちます(父親は税務署員)

小学生時代の数々の逸話

小学生の頃は、トカゲを捕まえるのが趣味。宿舎の別階に住むおばさん宅に「プレゼントしようと思って」トカゲをばらまいたら、悪戯されたと思ったのか、おばさんは激怒。これを「恩を仇で返された」と思ったひろゆき氏は、おばさんの腕に噛みついたそうです。

高校時代から片鱗を見せる

このような「ヤバい」逸話は数知れず、高校時代には「なんで数学を勉強しなければならないのか」と教師に言い放ち、論破するような学生だったといいます。

高校卒業後は、中央大学へ進学。所属は、文学部・教育学科・心理学コース。「文化連盟犯罪科学研究会」というサークルに所属していましたが、本人は「部室に行くとゲームやり放題だった」と語っており、どうやらゲーム三昧の生活を送っていた模様。しかし、会計を担当していたにもかかわらず、帳簿をつけないなど管理がずさんすぎたため、退会となってしまいました。

またこの頃「明治通りでタクシーと接触事故となり、横にいたバスにぶつかる」という大事故に遭遇。しかし、病院で「足は折れていない」と言われ、そのままバイトへ。また事故の慰謝料でアメリカ・アーカンソー州にあるアーカンソー中央大学へ留学するなど、世間一般とはかなり違った感覚を持っていたようです。

起業、そして「2ちゃんねる」の開設

1998年、大学に在学していたひろゆき氏は、友人と合資会社東京アクセスを設立。翌1999年のアメリカ留学中に電子掲示板「2ちゃんねる」を開設しました。立ち上げの理由について、ひろゆき氏は「春休みで大学の授業もなく、寮の友人も帰省してしまい暇だった」と語っています。

想像以上の成長率だった

まだSNSという言葉も存在しない時代、「2ちゃんねる」はネット民の交流の場として人気を集め、急速に成長していきます。ひろゆき氏本人も「大きくなると思ってはいたが、予想よりも早かった」と語るほど、驚きの反響だったようです。

しかしユーザーが増える一方で、その匿名性を悪用した犯罪行為も徐々に目立つようになってきました。ステルスマーケティングや根拠のない悪口にとどまらず、脅迫、出会い系、麻薬取引、詐欺といった悪質な違反行為も増えていきます。

この頃のインターネットは、まだ一般的なツールではなく、ゆえに法整備も追いついていませんでした。そのため被害者は泣き寝入りするしかない時代でした。

キッカケはとある事件!

そして、2000年に起こった「西鉄バスジャック事件」(当時17歳の少年によるバス乗っ取り事件。ハンドルネームから「ネオむぎ茶事件」とも。死亡者1人、負傷者2人)で、ひろゆき氏の存在が世間に広く知られるようになります。

当時、同事件の犯行予告が「2ちゃんねる」に書き込まれていたため、ひろゆき氏は同掲示板管理人としてニュースステーションのインタビューに答えました。このとき、今でも同氏の名言として知られる「うそはうそであると見抜ける人でないと(掲示板を使うのは)難しい」という言葉が登場しました。

実は既婚者。でも結婚は長期滞在ビザのためだった

ひろゆき氏は「周囲に結婚して幸せになった人がいない」として結婚に関して消極的でしたが、2014年に10年ほど交際していた翻訳ライターの植木由佳氏と結婚。長いあいだ交際していたこと、男として責任をとったことがネットで評価されましたが、結婚した理由に関して本人は「長期滞在ビザ取得のため」と語っています。曰く「配偶者にしてしまえばビザの取得が楽だよね」とのことでした。

フランスへ移住

その後、ひろゆき氏はフランスへ移住します。

富裕層に人気の移住先としてよく名前が挙がるアメリカやシンガポールではなく、フランスを選んだ理由として、次のような点を挙げています。

  • 物事がうまくいかない方が好き
  • 日本にいるとどんな仕事をするにしても余裕になってしまった
  • 外国に行くといきなりハードモードになる

留学経験があるため英語はなんとかなるけど、いっさいフランスのことを勉強せずに行ったため、最初はかなり苦労したそうです。インターネットの工事をするのも大変で、工事に来た作業員と辞書を見せ合ってコミュニケーションを取ってなんとかしたのだとか。ただ、この「なんとかした」ときに、凄く達成感が得られるのだといいます。

ひろゆき氏と「ベーシックインカム」

最近のひろゆき氏は、ベーシックインカムの導入に対して前向きなことでも知られます。

ベーシックインカムとは、政府がすべての国民に対して、最低限の生活を送るのに必要とされている現金を支給する制度です。

ひろゆき氏は以前、「国民全員をなにもしない公務員として雇うのと一緒」と反対の立場でしたが、近年は「ベーシックインカムを実現するにはどうしたらいいか会議」というタイトルで生配信を行うなど、その必要性を度々訴えています。

マイペースで自由奔放な人間として見られがちなひろゆき氏ですが、彼が考えたベーシックインカム導入に関する「予算案」に、当時大阪府知事だった橋下徹氏が強く感心するなど、大きな注目を集めています。

ひろゆき氏が導入を訴える根底には「そのほうが面白そうじゃね?」という思いがあるそうですが、そんな彼がいつか日本の社会保障制度を変えるかもしれません。

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