堀江貴文 〜多方面で挑戦し続けるIT時代の寵児〜

いま最も有名な起業家・実業家といえば、堀江貴文氏でしょう。大学時代に起業した会社を上場まで持っていき、その後もプロ野球の新球団参入や大手ラジオ局の買収など、さまざまな挑戦を続けてきました。

ロケット開発に挑戦中!

現在は、sns media&consulting株式会社やインターステラテクノロジズ株式会社のファウンダーとして、ロケット開発などに携わっています。また著書も精力的に発表しており、100万人を超えるYouTubeチャンネルも運営中です。

百科事典を熟読した幼少期

1972年、福岡県八女市に長男として生誕。幼少期は百科事典を熟読して過ごしていたそうです。それも目的の事柄を調べるのではなく、最初から最後まで通読するという熱の入れっぷり。そのためか、小学校では授業が簡単すぎてつまらなく感じてしまうほどの秀才ぶりを発揮し、担任の勧めを受けて進学塾へ通い始めます。

学生時代から商才を発揮

その後、県下有数の進学校である久留米大学附設中学校へ進学。この頃にコンピュータと出会うと一気に惹き込まれ、日々遅くまでプログラミングに没頭します。当時の基礎的なプログラミング言語だったBASICのみならず、マシン語までも瞬く間に習得。中学2年生にして、英語スクールのPC入れ替え作業に携わり、10万円を手にするなど、早くも商才を発揮します。ただ、コンピュータにのめり込むあまり、学業が疎かになってしまったそうです。

大学進学を機に上京

高校時代、有名大学への進学を希望して東京行きを決意。ですが、慶応や早稲田では経済的に難しく、親も納得する国立大学ということで、東京大学を目指すことになります。PCに没頭していた影響か、高校3年夏頃の模試で同大学の判定はE~Fでしたが、そこから英単語帳を丸暗記するなど必死に対策し見事現役合格。晴れて上京します。

大学在学中に起業

1996年4月。東京大学在学中、後にライブドアとなる有限会社オン・ザ・エッヂを設立し、1997年に株式会社へ改組。プログラミングのアルバイトでインターネットと出会ったこともあり、web事業に注力して事業を拡大。当時いち早くホームページ制作などを行っていた会社として注目を集めます。その後、一流企業をはじめ多くの会社からWebサイト制作などを請け負い、会社は順調に成長。2000年4月に東証マザーズへ上場し、2002年には旧ライブドアから営業権を取得しました。

世間を驚かせたプロ野球参入計画とニッポン放送買収劇

そして2004年、上場後の勢いに乗り、当時経営難だった大阪近鉄バファローズの買収を申し出てプロ野球への参入を計画。しかし同球団に拒否され、実現はなりませんでした。

堀江氏は当時、プロ野球の球団がなかった東北地方に新球団「仙台ライブドアフェニックス」を設立する計画を発表するも、これが同じくプロ野球への参入を進めていた楽天の「東北楽天ゴールデンイーグルス」と競合。審査の結果、楽天の参入が決定しました。

ニッポン放送の買収劇

堀江氏は、続く2005年2月、当時フジテレビの親会社だった大手ラジオ局のニッポン放送株を35%取得し、最大株主となります。

当時、フジテレビはフジサンケイグループ全体の経営の安定性を高めるため、親会社にTOBを実施。グループの親会社をフジテレビに切り替える方向で調整していた。しかし同時期、ライブドアが株式市場でニッポン放送を大量取得し、筆頭株主に。フジテレビが危惧していた事態が起こってしまった。

買収には失敗?

この前代未聞の買収劇に、日本中から注目が集中。最終的には、2005年4月にライブドアとフジテレビの間で和解が成立し、両者が業務提携することで決着。ライブドア所有のニッポン放送株をフジテレビが取得し、ニッポン放送の買収はなりませんでした。

衆院選の落選、そしてライブドア事件

2005年8月。堀江氏はいわゆる郵政選挙に出馬。自民党から福岡1区での立候補を打診されるも、広島6区から無所属で出馬します。しかし、当時自民党を離党し国民新党所属で出馬していた重鎮・亀井静香氏の地盤に敵わず、あえなく落選してしまいます。

ライブドア事件

2006年1月。決算報告書(有価証券報告書)の虚偽記載などの証券取引法違反容疑でライブドア本社や自宅の家宅捜索が行われ、東京地検特捜部によって逮捕。東京地裁の判決公判で懲役2年6ヵ月の実刑判決が言い渡されました。堀江氏は即日控訴するも、東京高裁はこれを棄却。2011年4月に上告・異議申し立てするも、最高裁はこれを棄却し、懲役2年6ヵ月の実刑判決が確定。同年6月に東京高等検察庁に出頭、東京拘置所に収監されましたが、このときモヒカンヘアーで堀江氏が出頭する様子がニコニコ動画で生中継され、話題を呼びました。

収監生活でも影響力は抜群

その後、収監生活を送りますが、メールマガジンやTwitterで精力的に発信を続けます。メールマガジンの有料登録数においては、収監中も日本歴代1位を維持し続けるなど、その影響力は引き続き大きなものがありました。なお、刑務所では模範囚として高齢受刑者の介助に携わり、ありあまる時間を使って航空工学の勉強などをしていたそうです。

堀江氏の多様な活動、それを支える価値観

その後、出所した堀江氏はさまざまな活動に取り組みます。ゴルフ、トライアスロン、ミュージカルへの出演。さらには教育分野や自動配送ロボ、日本酒など、様々な業種への出資も実施。

国内初の成功

特に液体燃料ロケット開発を行うインターテスラテクノロジズにはファウンダーとして携わり、宇宙開発に積極的に投資しています。同社の小型ロケット「MOMO」3号機は、2019年5月、民間単独のロケットとして国内で初めて宇宙空間に到達しました。

なぜここまで多動な取り組みが可能なのか。そこには堀江氏の価値観が影響しています。

モットーはタイムイズライフ

まず「タイムイズマネー」ではなく「タイムイズライフ」。堀江氏は「時間こそ人生である」と著書に記している通り、「自分の時間を生きる」ことに強いこだわりを持っています。「時間を奪う行為」として嫌う電話には基本的に出ず、メールの文面も非常に簡潔だそうです。

「ノリ」だけで生きる

また「ハマる」そして「ノリ」だけで生きる、という考え方も有名です。面白そうなことにとりあえず「ノリ」で手を出してみる。そして何もかも忘れるほどに「ハマる」、これがチャンスを掴み取る秘訣と話しています。

やりたいことをやる。食べたいものを食べる。そして、言いたいことはその場で言うことが信条の堀江氏は、良くも悪くも話題に事欠きません。今後もその活動は注目です。

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